高校野球ヲタク、草野球歴30年で、全ポジション、監督も経験した立場から、「観る」「知る」だけでなく「やる」を加え、さらに「誰にでも平易に伝える使命」という観点も加えて、野球に関するもろもろを。

2010.7.29

『Number』で書きました「松井5連続敬遠の痛恨」

シベリア抑留者の本を日曜に書き終え、
やっと少し合間ができそうなところで久しぶりのブログですわ。

昨日、石川県大会決勝。
遊学館高校、5年ぶり4度目の夏の甲子園出場を決めました!
監督の山本雅弘監督は、
僕の、星稜高校2年時の担任で、
ダラダラとよろしくなかった僕の態度を、こてんぱんに、
いやオーバーな表現でなくこてんぱんに叩き直していただいた恩師です。
大人になって友人に言われたのは
「ケンゴ、あれでよう学校やめんかったな(笑)」
日々、鉄拳。いやはやまじで怖かった。
ひとり終礼時にクラスの前に正座させられてけっ飛ばされ、
胸に1週間足型残ってました(笑)。
よっぽど僕がへらへらしたんだろうなあ、ひどかったんだろうなあと今思う。
いいのかなあ、こんなとこに書いてて。いいよね、時効(笑)。
というか、そんなことにしても誰も今憎んでいる生徒はいないと思う。
人間同士、こいつをなんとかしようと思ってるアツサが、伝わるのですよ。
まだ日体大出て数年目だったのでオニイサン的でもあり、
よく話がわかる情の深い先生で、怖いけどみんなしたっていました。
生徒間では「ヤント」で通ってたのですが、
32年経った今でもどうもそう言ってるようで、
遊学の試合を観戦しているとスタンドで生徒が話してるのが聞こえてほのぼのします。
山本先生が卒業式の時、式が終わって講堂から出て行く生徒を見ながら
ひとり泣いていた姿が忘れられません。

先生は、星稜中学の野球部監督を長年務めて、全国大会で何度も
星稜中を日本一に導きました。
その後、遊学館が共学となり野球部創設にあたって、
稲置学園から金城学園に移り、創部2年目、3年生不在のチームで
甲子園出場、しかもベスト8入りと言う快挙を遂げました。
試合や練習見に行ったり、大学選手権観戦などで今でもよくお会いするのですが、
先生の前に出るとついシャキッと気をつけしてしまいますね。
と山本先生のことはまだ書きたいことも山ほどあるのでまたにしまして、
もうひとり、シャキッと気をつけしてしまう人が、
星稜高校・総監督、山下智茂先生。

7/14のこのブログ←にも書いたように、7/2、母校を取材で訪れましたよ。
まずはそっち読んでいただければ。

今日、7/29発売の『Number』←にその4Pの記事が出てます。

この記事は、特別に感慨深いものがあります。
『Number』では過去に野球モノ中心に、そこそこ仕事しました。
だいたいが<分類王>として、カルチャーお遊び的チャートものが多く、
がっつりとした書き物はやっていませんでした。
別にやらないと決めていたわけでもありませんが、
専門のスポーツライターの方がいて、みなさん原稿もうまければ
特に自分がやりたいな、とも思わないし、当然頼まれもしない(笑)。
なのでそのテの記事をやろうとは意識もしていませんでした。
チャートものは独特の<知的バカ笑い>の世界観、テイストは自分でも
<余人に代え難き>ものだと思っているし、それならやはり僕がやらねば
と思えるわけです。
しかし、インタビューモノなどは、もちろん若い頃はかなりやっていたし、
別にいやだとかないのですが、うまい人もいっぱいいるから
むしろ読んでればいい、読者でいいという感じでした。
ちなみに『Number』は僕が上京してしばらくして創刊され、
創刊号も買ったし、それ以降30年、読者として相当買ってました。
(サッカー号は買いません)

今回、古い付き合いで僕の好みを知り尽くし、
高校野球大好きで、甲子園も僕と一緒に見に行ったこともある、
編集部の稲田君がこの企画をどうですか?と言ってくれたのです。
それはもう一も二もなくやるしかない!うれしい!とアポに臨んだのです。
18年前の「明徳戦、松井5連続敬遠」について話してほしいという
オファーでしたが、断られるかも、、、と思いつつ電話。
今まで、本当にこの話は取材受けていなかったのです。
しかし受けて頂けるということで、勇躍、31年前に卒業した母校に向かいました。

母校、高校野球というキーワードだけでも極上なのに
ずっと応援し続けている母校の野球部、
それを愛読紙でもあるナンバーで、しかもそこで初のシリアス系記事。
取材相手は、星稜の名を全国に知らしめた功労者で高校球界の名将。

僕は野球部ではなく、びびって入部しなかった後悔から
今でも草野球やってるのです。
なので、山下先生とは、2年時の政経の授業と、
毎朝、校門に立っての服装検査でのやりとりでした。

監督の授業前になると、みんなその日の朝刊をがさがさ読み始めてました。
冒頭に10分ほど、新聞に書かれたできごとを指名して質問するのです。
「さ、今朝の新聞に○○○についてなんて書いてあった? はい、石黒」
「……」
「わからんがか? はい、立っとれ」
これです。
授業の合間に聞く、すさまじい野球部練習話も迫力ありました。
「外野に1メートルの円描いといたらノックでそこに100%落とせるぞ」
一番びびった話は
「真冬に、雪の上で何時間もノックし続けとったら、掌がむけて出た血が凍ってしもて、
バットと手が離れなくなったんで、ヤカンのお湯かけてはがしたんやわ」
これにとどまらずレンコン畑からグランド作って、
授業のために予習とかすさまじい努力の人なのだと、
わずかな接点でしたが、感受性の強いハナタレヤンキー少年には
ぐさぐさと響いてきたものです。
それでキャンディーズ活動に命を賭けることができました!
……ってのはなんか違うような……。

僕の中で、山下先生についてもっとも強烈な記憶は、學ランです。

この頃の星稜は、勉強もスポーツも生活指導も
たぶん一番厳しかったのではないかと思います。
日本の高度経済成長期のように、本格的な進学校へと登り始めた頃です。
初めて東大に入ったのが、僕と同じ15期の生徒だったはず。
それはもういろいろと厳しかった。
校門では男子を見張るのがほとんどで、
髪の襟足がカラーにかかっていないか、パーマやソリコミ発見、
太いズボン、長ラン、黒い靴履いてるか、とか。

高校2年のある朝、毎朝竹刀持って校門に立っている山下先生に呼び止められました。
(これ、定年まで続けてたと取材の時に聞いてびっくり!)
いつもは、始業ベルぎりぎりに走り込むディレードスチールで
アウトにならずに塁を獲得していたのですが、
この日はばっちり監督が僕を見ていた。

対空レーダー山下システムにひっかかったのは、
イシグロ神風特攻隊の学生帽。卵の黄身と煙草の灰で固められた特殊機です。
「おまんの帽子、なんか加工しとらんねえけ?」(金沢弁)
と言うか言わぬかのうちにひっぺがされて現れた額。
「おまん、ソリコミしとらんや!」続いて視線は下に。
「丈長いがいや! 脱げっ!」姿を見せた虎と龍、猛り狂うどころかしゅんとなり。
「没収や! 卒業式の時取りにこい!」
バイトで貯めた2万円をつぎこみ手に入れた、
裏地に「龍虎相搏つ」の刺繍が入った中蘭を着て3日目だったか。
その日1日、白シャツで過ごし、学年のさらし者に(笑)。
もちろん、恐ろしいので卒業式の時になど取りにいくわけがありません。
僕の2万円は、たった3日の満足感だけを残して職員室の藻くずと消えました。

ほとんど野球と無関係の話ばかりなので戻して、っと。
最初のあいさつでいきなり「石黒、やせたんないか?」
先生、わかんのかあ、すげえなあ。
ベンチ裏から試合観てはいましたが、
學ランの件以来面と向かって話しはしてないのに先生の記憶というのはすごいなと。
インタビューは最初、明徳戦についてなかなか心情的なことには
触れていただけなかったのですが、
僕がつけている星稜戦の甲子園の全試合のスコアなど見て
歴代野球部の話をするうちにぽつぽつと。
で、結果、2時間話を聞いて、その後撮影もさせていただき、
とてもよい記事になったと自負しています。
編集部でも評判よかったらしく、表紙にも見出し入ってます。
4800字しかないのでなくなく落とした
ちょいとマニアックなネタも山ほどあり、それがちょっと残念です。
あ、僕がもっともぐっときたことば。
論語に「明徳」という言葉があるんだという話になり、
先生に「それ、知っとるか?」と言われ
「いえ、知りません」と答えたら、
「なんや石黒、勉強不足やなあ、坊主にすっぞ!」
ツバを飲み込みました。

とにかく、僕の気持ちも注入したナンバー、読んでいただきたいです。
よろしくお願いします。

これで、昨日の決勝で甲子園行きを決めたのが
星稜だったら、それは大変なことだったのですが
準々決勝で準優勝した尾山台に敗けてしましいました。
しかし、恩師・山本雅弘監督の遊学館が5年ぶりでこれはまた感激。

いつも、母校と恩師が当たらないよう願ってます。
そしてなぜかまだ夏は一度も直接がないのですよ。
ずっとそのままいってほしいなあ。

↓ これらは僕の6学年先輩のスポーツライター、
 松下茂典さんの著書です。

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2010.7.14

『Number』編集部ブログに僕と星稜の山下総監督が

本田本田本田本田本田本田本田本田本田本で日本中が湧いていた7/2、
たまたま取材で彼の母校、というか松井秀喜の母校、
いや僕の母校である金沢の星稜高校に行ってきました。
母校についてのあれこれは先日書いた
「本田圭佑 星稜時代、高校サッカー選手権の動画とか」にあります。

7階建てのりっぱな校舎の受付で
「東京のOBの者ですが、取材に伺いました!」
と言ったら、
「あ、河崎先生のところですね?」と。
W杯中何度となくテレビに登場していた河崎先生(僕のひとつ先輩)は、
サッカー部の監督。
「あ、いえ。山下理事のところなのですが」
「はあ? あ、野球部ですか…」
不思議そうにしてましたが、まあ連日、本田絡みの取材殺到してたんでしょうね。
でも、どっこい生きてる野球部もお忘れなく! 星稜関係者のみなさま。

『Number』7/29発売「高校野球特集」の取材。
同行したのは、『Number』編集部、稲田くんと
初めてお仕事したカメラマンの安川さん(春日部共栄野球部出身)
僕は1泊しましたが、稲田・安川両氏は日帰り。

稲田くんは、10年ほど前かな?
新入社員時代『TITLE』で連載担当していただいて以来の飲み友でもあり、
金沢の夜を楽しみたかったが、
スポーツ雑誌的にはW杯まっさかりで時期悪く断念して帰っていきました。
取材前に金沢駅ビル内で海鮮大盛り丼をさっと食べたのと、
取材終ったあと、近江町市場内の回転寿司屋でビール少々がせめて、でした。
って書いてて気づいたけど、魚と魚、中5時間ってどうよ。

その稲田くんが、『Number』編集部ブログにその模様を
書いていたのを今発見し、ではとこちらもブログに。
転載するわけにはいかないので、↓リンク先を読んでみてください。

『Number』編集部ブログ 7/9「ブルー・オレンジ・スター」
このタイトル、深いなあ。
僕の会社の名前、「ブルー・オレンジ・スタジアム」
つまり青とオレンジの球場。
ロゴマークは球場です→それについてはココに書いてあります
星稜のユニフォームは、黄色ベースに、青とオレンジ配したもの。
ということを踏まえたツウっぽいタイトルです…ってオレしかわからんだろうけど。

『Number』編集部ブログの写真、
山下総監督が星稜のユニ、上しか着てないでしょ?
ほんとは「星稜のは着ないよ」とアポの時点から言われたんです。
現監督の北川さんや高野連にも気を使い、
なおかつ、自分的にもケジメとして封印していたのではないかと思うのですよ。
(箕島戦は別。また今秋に甲子園でやりますよ!)
それが、冗談っぽく、「やはりキツイっすか?」
と食い下がっていたら、自宅で着替えてグランドに現れたら、
なんと手に持ってるではないですか!
いやー、やさしいなあ、、、、と。
しかしなんと、シャツと帽子だけでパンツがない。
「監督、あのー、下は?……」
「なに? これでいいやろがいや」
「あ、はいっ!では上だけ写すようにして撮りますっ!」
敬礼しそうになりました。

どんな写真になるか、楽しみです。
7/29,柴崎乞うご期待。

↓ これらは僕の6学年先輩のスポーツライター、
 松下茂典さんの著書です。

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2010.3.4

奇跡の全国大会出場に初代主将は

野球絡みの、アーカイブネタを。
4年半前のメルマガあいさつ文から。
                      2005/9/29/thu
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創設者。いい響きです。
あ、会社の話じゃないんです。
またまた野球絡みで恐縮夏彦なんですが、
僕は22年前に、ジャーナリスト専門学校というところに野球部を創設しました。
もちろん、初代主将。くどいですけど、いい響きです。

軟式ですが、東京都専門学校野球連盟に加盟し、
誰からも注目されない、野球の世界としては片隅ながら、
前向きな気持ちだけは甲子園球児と変わらぬテンションで、
学校とバイトの合間を縫って活動してました。
当時は弱かったのですが、
その後、なぜかそこそこの成績を残すようになっていまして、
7期生あたりで、神宮球場での決勝で敗れたものの、準優勝。
以降もベスト8に入るなど地道に野球部としての活動が続いていました。
そしてOBを集めて、自分のチームを作って草野球やってます。

そして22年目を迎えた今年、またもや東京ドームでの決勝に進んだのです。
そして、当時から変わらず部を率いる三好監督は、
僕をコーチとしてベンチに入れてくれました。
相手は、東京ウェルネス専門学校。
体育関係の学校はおおむね強いのですが、ここは野球科まであるセミプロ集団。
試合前のノック見てても、ごついのがごろごろ。
内野の球回しの球ですら打てないかも、と思うほど(笑)。
対する我がジャナ専は、まあ名前のイメージどおり、ひょろひょろ。。。
特筆すべきは、女子がいること! 2番ファースト!
埼玉栄で、女子野球部だったらしく、さすがにうまいと思ったものの、
「いくらなんでもこのメンバーじゃ冷静に見たら勝てないな」
と野球にスレきった44歳は考えてしまうわけです。

しかし、宜野座高校出身の投手が相手をきっちり抑えます。
僕はベンチでカラカラになるまで声出し専門。
そして、はらはらしどうしの展開でしたが、
彼らはセミプロ集団を2−1で破ったのです!
しかも決勝点は、女子の内野ゴロで、彼女が最優秀選手賞!

野球マンガで読む、へなちょこチームが強豪を倒すという、
あの痛快パターンそのものを、目の前で、
しかも22年後の後輩たちが見せてくれたのです。
そして、22年目にして、僕にとっても悲願の優勝。
優勝の瞬間、ベンチの中で三好監督とがっちり握手。
その瞬間、涙がどっと。
監督の22年に比べれば僕はなにもしてはいませんが、
創設者として、22年間、思い続けてよかった、と。
監督も歴代の後輩も現役選手も最高です!
みんなに感謝したいです。
11月に千葉マリンスタジアムでの全国大会で、また泣きたいです。

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石黒 謙吾

著述家・分類王
1961年 金沢市生まれ。
今では書籍の執筆がほとんどですが、プロデュース&編集も少しやってます。
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