最後の「三助さん」体験で歴史の生き証人風味を
5/3夕方、人生初の「三助さん」を体験しに行きました。
僕の親だけあって(逆?)銭湯好きだったうちの父親が
(というか小学校2年で僕がおじさんの家に預けられるまで住んでいた
金沢市上荒屋町のおんぼろ市営住宅には風呂がなかったので、
好きだったというより必然か)
「昔は銭湯に三助さんがおってえ、よく背中流しとったんやぞ」
と、しょっちゅう楽しそうにしゃべっていたので、
「三助さん」という言葉は物心付いた時から刷り込まれてたんです。
近所の銭湯にはいなかったけど金沢にはその頃まだいたのかなあ。
そして上京後、小菅、新小岩、東高円寺、東中野、中板橋、中野、池袋、
上北沢、代田橋とさんざん引っ越しを繰り返し、近隣の銭湯に行っていたが
「三助さん」がいるという話は聞いたことがなかった。
銭湯に本気になった後、キングオブ銭湯、町田忍さんの本で読みまだいることを知り、
その後、2009年9月にオンエアされたBOSSのCM←を見て姿を目にしました。
日本で最後、いや世界で、いや歴史上最後の「三助さん」橘さん。
これで名前が<三助>だったら仕込みと思われるだろうというわけで
名前は<秀雪>です。
橘秀雪72歳富山県氷見市出身二所ノ関部屋。
↑ この記事に写真アリ升
日暮里の銭湯、斎藤湯にいらっしゃる。
400円で背中を流して頂けるのです。
今年に入ってすぐ町田忍さんと飲んだ際に
「ごくフツーに行けばフツーにやってもらえますよ!」
と聞いてこれはほんとに近々行かねばと機を伺って迎えたGW。
2日だけだった完全オフを有効に使うべく昼に決断。
開店の3時を待って、斎藤湯に確認の電話をしてみる。
「はい、斎藤です」
まず銭湯に電話などかかってこないからだろう、
「斎藤湯です」ではなく「斎藤です」(笑)。
「あのー、三助さん、なんですが、ふつーにいけばふつーにやっていただけますか?」
「はい、大丈夫ですよ♪」当たり前ですよ的なやけに明るい男性の応対。
夕方5時に家を出て日暮里・斎藤湯についたのが6時。
向かう途中の電車内から高揚してツイッターで三助情報をツイート。
食い付いてレスしてくる風呂仲間と趣味のイイ女子3名、ほかフォロワーの方数名。
日暮里駅前から驚くほど近く3分ほど。
あのたまらない銭湯臭が大通りまで漂ってきたほど。
番台で「あのー、三助さんお願いしたいんですが……」
人生初フーゾク体験の青少年がオネエサンを写真指名する時のようなウブこい気分。
おそらく電話に出た店主のおじさんが差し出す1000円札を受け取りつつ
「はい。では150円おつりね」(入浴料450円+三助料400円だなと確認暗算)
続いて無言で置かれた長さ10センチほどの木札。
「な が し」と筆文字が書かれた古い板です。
「あ…でこれをどうしたら……?」
「これを洗い場の上に置いといてください。
ちょうど今中で何人かやってますから、わかんないといけないんで、
入っていったら見てこれ振って知らせてください」
(おお、いいねいいね、これですよこの、血が通ってますなあのアナログ風情)
(しかし何人かやってるってすごいことでは!?)
脱衣所に入り風呂場を覗くがまだ見えない。
がらっとトビラを開けて風呂場に入ると
左手前方に背中を揉む秀雪さん…じゃない、三助さん発見。
すぐに目が合う。
遠慮がちにこわばった微笑みで木札を軽く振ってかざす。
秀雪さん…じゃない、三助さんはニコッと笑うだけだったが
それでじゅうぶん意志が伝わってきた。
(わかりましたよ。ちょっと待っててくださいね)と細い目に書いてある。
お仕事ぶりを間近で観察するのも悪いような気がして、
違う島のカランの空きを探して座った。
でも、どうやってるのかとても気になる。
そこで、ちらちらと斜めに振り向き視線を送る。
もっと見たいので軽く汗を流したら湯船に向かい、
橘三助さん(これは、石黒記者と同じ用法)が見える位置にざぶん。
これなら堂々と観察できる。
橘さんは、ロッキード事件の児玉誉士夫にそこはかとなく似ていた。
あと、宮沢賢治。
あ、三瓶、左とん平も少々。
見てると、<洗う>場面はなくほぼ<マッサージ>です。
こんなことまでしてもらえるのか!と期待が高まります。
僕はこの時点で、<一人当たりの持ち時間>を知らなかったので
いつ順番が回ってきてもいいように、身体も頭も洗わずに
湯船に入ったりヒゲ剃ったり、ただ座って汗流したりして
次のお客さんに代ってもチラ見を続けていた。
この人が始まって終るまで見ていて15分であることを知る。
こんなにロングサービスとはなかなかのものと湯船に使って計算するせちがらい私。
(街中のマッサージ・指圧の相場が10分で900円〜1000円。
橘三助さんは10分換算で267円ってこれは労働対価として格安!
いやー、ありがたいやら申し訳ないやら)
こうして待つこと25分、ついに僕の順番が回ってきました達郎。
木札のあるカラン前で大きなマイ洗面器に湯を張り温度調整しながら、
湯船の僕のほうにオッケーですよとアイコンタクト。
いいねいいねこの感じ。
ベテランのソープ嬢が金色のユニットバス内の
チェリーボーイを手招きするシーンをイメージで。
ついに人生初のフーゾ…いや、三助さん体験の瞬間が訪れました。
橘さんと僕ほぼ同時にすかさず第一声。
「お待たせしてすいませんねえ」
めっちゃ腰が低く柔和です。
僕のタオルを取り泡立てて、マット…じゃない、背中洗いのスタート。
「本で見てましたよ。人気なんですねえ」
「なんだかさっきからたまたま続いちゃってねえ。
続くとお客さん待たせるから悪くてねえ」
「いえいえ、僕たっぷり1時間半とか入るので全然平気っすよ」
「銭湯の本書いてる町田忍さんから聞いてきましたよ」
「ああ、そうですか!」
同じ方向を向いて肩越しに交わす初対面のおじいさんとの会話。
いいわーこの雰囲気。もう終ってもいいぐらい(笑)。
橘三助さんは勢いよくぎゅっぎゅっと洗う。
洗う部位は、背中、肩、首周り、体側、腰あたりまでです。
洗い終るとケロリン桶に湯を汲んでざばざばと、これまた勢いよくせっけんを流す。
ここまで3分ぐらいかな。
なんとこのあと12分ぐらいは、もう石けんの出番はなく
ライトなマッサージが行われるのです。
広げたタオルを肩にぱんぱんと貼って→写真参照
軽く揉んだり、つまむように引っ張ったり、ツボを押したり、
肘から先を使って肩を押してもくれる。
腕も付け根から先まで順番に揉んでいって
掌は押して指先も引っ張ってくれたりも。
といっても、街中のお店ほど本格的な指圧やマッサージではないので
効果だけを求めるなら違います。
あくまで、<粋><風情>を味わい<庶民文化>を堪能するという
気持ちでいくのがいいでしょう。
<ぽんっ、ぽんっ>という独特のリズムに合わせて
顔を横にぷるっと振りながら軽やかに進む。
この仕草はなんとも特徴的で、誰でも印象に残るはず。
座頭市っぽい、と言えばいいでしょうか。
ここで橘さんのワークウェアを解説しましょう。
アイテムは2点だけと、オシャレ上級者らしくシンプルにまとめています。
足元は、軽快さを追求しながらも、ちょっぴりガーリッシュな、
田舎の呉服屋で売っていそうなライトブラウンのゴムゾウリ。
ボトムスは、ブルーグレーのサウナパンツ調ぴたぴたパンツ。
メキシコ五輪時代のサッカー選手を意識したデザインで、
タイトなシルエットを押し出したものとなっています。
50年にわたって人々の身体をいたわり続けてきた手で
揉みしだかれトロトロになりながらも話をします。
「いやー、最高っすね。前から来たい来たいと思ってまして…」
「どこからおいでですか?」
「世田谷です」
「それはまたありがとうございます。最近は遠くからの人が多いですね。
その代り近所の人がさっぱりになって(笑)」
BOSSのCMに出たり、本や雑誌で紹介されたおかげで
かなり遠くから来る人もいるようです。
「女のお客さんもけっこういます?」
「ああ、いますよ」
昔は、イケメンの「三助さん」は女性に人気で、「おひねり」もかなり入ったと、
町田忍さんの著書『ザ・東京銭湯』にはこう書かれています。
今なら、スポーツクラブのインストラクター!?(笑)
そんな会話を楽しみつつ<極楽極楽>と頭の中でつぶやいていたら
規定時間の15分は過ぎておしまい。
最後、とタオルの上からぱんっぱんっ!と肩をはたいてもらい至福の時間は終了。
余韻を楽しみつつ、まだ洗ってなかった部分と頭も洗ってまたまた湯船へ。
橘さんは僕が終って少ししてから、次の人を始めてたので
終った視点からまたゆるめに観察。
頭を振るしぐさがいい。
続いてもまったく手を抜くことなく黙々と仕事する姿がとても清い。
その姿を見ながら思う。
「三助さんに背中を流して頂いたことがある」と語れるのは、
歴史の生き証人風味で嬉しいなあ、
おそらくあと何年かで絶滅してしまう庶民文化を
一人でも多くの人に体験してもらいたいなあと。
風呂から上がってから脱衣場にあった新聞記事で読んだところでは、
学校を出て富山から上京して、同郷のこのお風呂屋さんに丁稚的に勤めたんだと。
数年間、先輩から洗い方など教わってから始めたらしいけど、
50年以上この銭湯で三助さんをやっているんです。
自分の銭湯を持つ夢があったけど、だんだん銭湯自体が必要なくなり
独立はあきらめたけど、一途にこうしてずっとこの仕事を続けているんです。
これまで50年間でいったい何人の身体を洗い揉み、心を癒してきたんだろう。
みなさまもぜひ歴史の生き証人に。
いや、幾多の身体と心を美しくしてきた橘秀雪さんの手に
触れてもらいに行ってみませんか。