不肖イシグロ、頭の中は100%ふざけてるように見えるかもですが、実は、98%ぐらいです。ごくたまに真剣に世の中に立ち向かいたくなりますが、それもまあ思うだけです生まれてきてすみません。

2012.1.25

母親3人夜逃げ家財道具一式捨てられ32歳で警備員

「自分史」のサイト「Histy」に、
インタビューされた記事と僕の自分史年表がUPされました。
このブログの↓
激動でもないけど普通とも言い難い半生(はんまな、ではない)
を見て、取材申し込み頂きで。

リード文が強烈(笑)。

<母親が3人いたり、父親の借金で夜逃げしたり、キャンディーズの追っかけをやったり、
同棲相手に家財道具一切を持ち逃げされたりなど、
激動の人生を送られてきた石黒さんのこれまでの歩みについては、
ぜひ年表をご覧ください。>

↓ これです。

石黒謙吾インタビュー | ロールモデルを探せ! Histy(ヒスティ)

石黒謙吾(著述家/編集者/分類王)(共通史年表)

文体が乱暴な感じになってますが、かなり謙虚に話したつもりではありまして、
まあ、いろいろあるほど、耐性がついて、いま普通に生きているだけで
楽しくなったり幸せを感じたりするということがいいたいのですよ。

いま思い出したらツライとかまったくないし、笑えることばかり。
この仕事向きにネタを作ってもらって生かされていた感じね。

自慢じゃないが、貯金ゼロ財産ゼロ借金,,,,の50歳、
客観的に見たらこらからどうすんだって状況ですが
いまストレスなくカミさんと犬とネコとごく普通に暮らせていて、
野球やれてビールもカインズホームの500ml105円だけど日々飲めて。
旅行など夢だけど、そこそこやりたい仕事できて、これはもう果報者だなと思います。
正負の法則というか、さすがに子供の頃などきつかったけど、うまくできてるなと。
目の前にあることにたんたんと真摯に立ち向かい、
周囲の方と祖先に感謝していると気持ちいい。
いまだに「将来の夢は絵描きになること」と本気で言ってるし
言ってるとわくわくする。
そんなぼくちんは、アホ??

というか、なんでも面白がって笑っているとほんと日々楽しい。
32歳で警備員やった1年弱が、その気持ちを深く根付かせてくれたと思う。

重労働のあとは塩にぎりとたくあんが満漢全席レベル。

★いま、自分はやらないと決めてること

■人のグチ → 誰も(自分も)楽しくない
■不機嫌そうな顔、口調 → 誰も(自分も)楽しくない
■好みが関わる事柄への批判(批評ではなく) → 好みは人それぞれ
■自分でも他人も、人と比較して優劣を考えること → 相対が人を不幸にもする
(目標設定は別)

とりとめなく勢いで綴り候。

ではまた。

↓ この短編集に私小説的にここらの話しが入ってます。

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2010.9.28

尖閣・中国船長逮捕関連 政治筋知人の意見

生まれてから<日本に戦争が起こるかも>
と思ったことは一度もなかったけど、
先週はついに、かすかな可能性が頭をよぎりました。
「ことによっては最悪のケース、数年後とかほんとにあり得るのでは……」
もちろん中国と、ってことです。

そんな中、おとといの夜、1通のメルマガを頂いた。
大局的見地という意味でこの文面はすばらしいと思ったので、
ご本人に許可をいただきそのまま掲載させていただくことにしました。

僕は政治の動向や世界情勢を注視していないぼんやり人です。
明確に自分の主義や思想を語るわけではないんだけど、
これには多くの人が耳を傾け、考えていこうよ、と感じる意見は
気にしているし広めたいなと思います。

書かれたのは、河野洋平事務所にお勤めの、梁田貴之氏。
講談社『PENTHOUSE』の巨人特集で
河野洋平氏に取材した時に知り合った、20年来の知人です。
年も同じで、なんとなくウマが会い、仕事レベルでなく飲んだこともあり、
何度かしかお会いしてませんが、賀状や時折メールをやりとりしたりする仲です。

その梁田さんのメルマガ全文以下に。

//////////////////////////////////

なお、これは梁田さんの個人的な見解で、
勤務先の立場を表明したものではないので
お間違えなきようくれぐれも。

河野洋平事務所
梁田貴之氏

。。。。。。。。。。

【梁田貴之不定期メールマガジン2010年9月26日】

《一方的なご送付お許し下さい。》

尖閣・中国船長逮捕関連、梁田の感想

1.「だから自衛隊の部隊配備を」「だから日米安保強化を」「もっと毅然たる外交を」
といった考えに流れることがいちばん馬鹿馬鹿しい。
政治家もそうだが、あいかわらずテレビがこうしたテーマを扱うとき
放送記者出身の仕切り役、知識人を気取るタレントたちの「煽る」だけの言論は
戦前のメディアと全く同様だ。

2.ことが大きな損害を生んだ発端は、
自民党政権当時のやり方を変更して当該船長の逮捕に踏み切った
前原国土交通相(当時)、菅首相、仙石官房長官、岡田外務大臣(当時)の判断ミスだ。
政治は結果であり、日本政府が中国に対して謝罪する必要など毛頭無いが、
この四人は国民に対して見通しを誤り、
処理に手間取って損害を大きくしたことについて謝罪し責任をとる必要がある。

3.(河野太郎代議士なども指摘しているように)地検に外交を語らせ、
政治の介入ないなどというのは無責任きわまりなく、
官僚組織の独断専行を助長するような姿勢だ。総理か官房長官が決断し、
法相が指揮権発動して辞表を出すといったことでなければ、
オープンな民主政治と言えない。

4.鳩山前首相が「僕ならホットラインですぐ温首相と話し合った」
という趣旨のことを言っているらしいが、
「僕の方が菅よりまし」などと言っていないで、
国民のために力を合わせて働くというのでなければ話にならない。
無責任きわまりない話だ。

5.中国にはもっと大人になってもらわなければ中国自身のためにもならないと思うが、
それは中国自身が考えることだ。 

6. これは、いま外に向けて発信するのはいい時期ではないかもしれないが、
梁田自身は「領土問題は存在しない」というのは法的に、
また政府の基本線としてはいいのだろうが、
そのことばを自分で本当のことと信じてしまうことも(マキャベリ的に考えても)
賢明でないと思う。まず、線引きは当事者二国間でお互いに「その線で」
ということで合意するのでなければ、
現行の実効支配とは別に他方の領有権の主張がやまないのは当然だ。
「中国は資源の存在が明らかになった1970年頃より急速に領有を主張」
と強調されるが、それなら1972年の正常化よりもっと早く、
60年代に正常化を果たし、しっかり日本領として合意しておけば良かったのだ。
また、わが国が領有権を宣言した19世紀末は、中国は清朝時代であり、
近代主権国家の国際法のルールが東アジアに遍く浸透していたと考えるのは
必ずしも実際的ではないだろう。
かつて「3カイリ」だった領海が、20世紀後半に12カイリに拡大し、
「漁業専管水域」「経済水域」といった考え方は19世紀にはなかったのだから、
海の線引きに関わる話は、あらためてしっかり話し合って利害の均衡点を見つけ、
合意の上でしっかり線を引くというという作業が必要だ。
それが政治や外交の仕事であると思う。  

以上


梁田貴之(やなだ・たかゆき)

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2010.9.15

シベリア抑留絵画展で感じる命の重み

まずは本題と別のお知らせから。

先週売りの『SPA!』に載った「困り顔」のコメントが
「webSPA!」にもアップ←されました(〜2011/3)
産経のZAKZAKとのコラボサイト上←にも連動してます。

・・・・・・・・・・・・・

とそんなくだけた話題から一転シリアスな話へ。
8/30日のブログに書いた←シベリア抑留本のこと。

絵を描いた勇崎作衛さんほか数人の方の展覧会、
<シベリア抑留の体験を伝える絵画展「蘇(よみがえ)る65年前の記憶・シベリア」>
が昨日から始まり、
朝11時のオープンと同時に行ってきました。

↓毎日新聞の記事になってます。
勇崎さんと本についての記事←ココ
展覧会についての記事←ココ

九段生涯学習会館←ここでやってます

僕自身は、勇崎さんの87枚は当然熟知しているわけですが
それでも、4年ぶりに見る実物の迫力。
ぐぐーーと、「二度と戦争が起こらないように、絶対に風化させないのだ」
という執念がキャンバスから滲み出ていて、気圧されました。

さらに、勇崎さん以外の方、4名のスケッチや水彩画も
相当に迫力あるもので、
特に、四国五郎さん←の
モノクロの絵はリアルで、あらためて現実を直視したような気が。

月曜日までやっているので、
あまり興味がないと思われる方でも、これを読んだのも何かの縁と、
行ってみてはいかがでしょうか。

↓ 二度と戦争が起こらないよう、子孫に残していってほしいと願います。

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2010.4.26

スティーブ・ジョブス動画「ハングリーであれ。バカであれ」

この動画、たぶん相当に有名なんでしょうが、
自己啓発的なるものにどん欲じゃない僕は、
今日ふとしたことから初めて知りました、見ました。
自分が忘れないようにと強く思いここにあげておきます。

ちょうど死ぬことについて思いを至らせていたところで、
かつ、自分の直感はがつんと信じるほうだろう。
また、相対的なことではなく絶対的なことに価値を見いだすことは意識している。
ブログを初めて3カ月ほどの間にそんなことをつらつら書いてきたので
背中を押してもらえた気がしている。
さらに、ハングリーとバカにはかなり自信があるので(笑)
生きるのがますます楽しくなってきました。

スティーブ・ジョブスの伝説の卒業式スピーチ(字幕入り)ー1(8分49秒)

スティーブ・ジョブスの伝説の卒業式スピーチ(字幕入り)ー2(5分44秒)

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2010.4.22

誰もが、明日、絶対に生きている保障はないわけで

19日月曜は父親の三回忌だった。
去年の6月に産みの母親も三回忌で、法事が2年続いたので
これでなんだかすっきりというか肩の荷が下りたような気持ち。

そんな春だけど、昨年秋から患った頚椎椎間板ヘルニアヘルツェゴビナは
首の牽引コスギによる美空リハビリの効果もあがらず、
MRI撮って詳しい診断待ちの状態。
早く治して来年は野球してーよー!なのでなんなら手術かなあ。
でも頚椎にメスとかやっぱりこわいねえええええ。
MRI、初めて撮ったけど、結構時間かかるんだね。
15分間、ツタンカーメン王気分で寝ててヒマだったので、
「MRI付きカプセルホテル、いいじゃん!」と思いつきニヤける。

先日、下北沢踏みきりで自転車横転した時、
頭部をたぶんレールで強打したんだけどヘルメットしてたので命拾いしたと思った。
これは本当にこわいなあ、死んでても不思議じゃなかったよと。

そんなこの頃、ヘルニアやら転倒やらあり、2年連続親が他界麻巳子したからか、
また、巨人・木村コーチ逝去の件もあったりで、
「自分だって、明日死ぬかもしれないよね」
と、暗いとかカラ元気でなくニュートラルな感覚で捉えるようになった。
どんなに気をつけて道を歩いていても車が突っ込んでくるかもしれないし、
ビルの上から鉄骨が落ちてくるかもしれない。
事実、数年前、渋谷センター街入り口でアーチが落ちて
死者が出たんじゃなかったっけね。地震ももちろん想定内。

そう考えるようになって自分自身が、
やけにすっきり、執着が取れて生きている気がする。
もともと危険なほど楽天的でそれは半ばヤケみたいなところがあったが
今のは、もうちょっと前向きに!?臨終ということを見据えている
ってなんか宗教チックになってるけどそうではなくて(笑)。

明日も生きていられるならば、その日を精一杯生ききろうと。
ガッツクのではなく、身の程をわきまえながら、ポジティブにがんばろうと。
大きな目標は持ちつつも、その日その日、やるべきことを地道にこなしていきたい。
だからなのか、→自分の人生や→仕事のアーカイブ的なことに気がいく。
家と事務所、持ち物、資料、アルバムなど、整理整頓&分類の行動が増えていた。
突然死んで、どこに何があるかわからないという状況想像するとイヤだし。
そして今かなりすっきりしたところまできている。
あ、借金以外は…ってそれが一番大事やろがジブン!!!(笑)

常識外れに先行きが見えぬ生き方だと思うけど
まあ、日々、やるべきことやってれば不安は消えていくだろうと楽観視。
先祖からつながる生に感謝し、今まで接してきたすべての人々に感謝していると
以前よりずっと、日々、ニコニコして暮らしている自覚がある。
執着を捨てて人目を意識せず自分らしく、でも迷惑かけず不快にさせず、
自分が携えることができる枠の中で、幸せを見つけエンジョイして生きようっと。

明日死んだらそりゃもうしょうがないよね。
生かしてもらえてるんだったら、人を心地よくしていたいし、
少しは人の幸せになれることに関わりたい。
明日死ぬかもしれないから、怒ったり暗くなってたらもったいない。
それじゃ自分が楽しくないからなあと、ね。
あからさまに不機嫌そうにしてる人見る時、ふとそう思う。

とりとめのない備忘録的つぶやきを。

とかいってたまたま今晩死んだら、すげー予知能力!とか騒がれて、
このブログをまとめた本がベストセラー!!で借金返済!
っておいおい強烈な執着なんですけど……。

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2010.4.13

怖い人に学ぼう

今の親は子供を怒らなくなったとよく耳にする。
近所の人も親ともめたくないから悪いことしている他人の子を怒らない。
学校の先生も問題になることを恐れて怒らないらしい。
上司もやめられたら管理能力の問題となるから保身的に怒れない状況。
やくざは怒るだけではお金にならないから違う方法で迫る。
警察官も、ネットなどで無体な書き込みされても面倒なので怒りにくいか。
おおロミオ、誰がわたしを怒ってくるの?

僕が高校出て状況したてのある日、
中央線各駅でお茶の水から新宿に向かっていた。
その車内は空いていて、僕は座席に浅く腰掛け脚を通路に伸ばして
だらあああ〜〜〜っとした姿勢で座っていた。
そこへお茶の水側から、ごつい小太りにパンチ、
いかにもラインメン筋の人が歩いてくるのが視界に入った。
おっと本物だ目を合わせないようにしようと、
下を向いてじっと座っていたその時、脚が強烈な衝撃で跳ね上がった。
ラインメンは僕の脚を力いっぱい蹴り飛ばしたのだ。
痛いとか怖いとか感じる前に起こったことを認識できず
ただ唖然として顔を上げたら、
アメ横に売ってそうな辛子色のブルゾンを着たパンチの男が
すでに3メートルほど新宿方向にいた。
つまり、僕の脚を蹴飛ばしつつ早足ですたすたと歩いていってのである。
その間、一度たりとも僕のほうを見ず、進んでもまったく振り返らない。
じゃなま棒が出てたから蹴飛ばして進んだだけ、そんなテイ。
そこにいた小僧のことなどまったく眼中にない、去り行く背中にそう書いてあった。
1車両ぐらい離れてから、まずは超弩級の恐怖感が湧いてきて
<おおー、こうぇー!>と。
次に湧いてきた感情は反省だった。
<あちゃー、たしかにオレが歩いてて同じヤツいたら蹴飛ばしてくなるわな、
蹴飛ばす根性はないけど。。。>と思った。
プチヤンだったのでケンカはまあママゴト程度にたしなんでいたけど
さすがにホンモノは怖いに決まっている。
次に湧いた感情は、リスペクトだった。
だってね、明らかに人に迷惑をかけているのは自分。
それに対して悪いんだぞおまえはと伝えるために
ワンアクション起こしたわけである。
無視して脚をまたいだほうがラクだからね。
だが、またいだら次に誰かが迷惑する。
この見た目ちゃらんぽらんした小僧にマナーを教えてやらんとな、
と思ったかどうかは知らないけど、結果、背筋は伸びた。
このケースでは、明らかに強い立場からなのでリスクはないけど、
この人だったら、屈強そうな相手でも同じ状況ならやったかもしれない。
<かっこいい。あんな風に悪いことを悪いと人に伝えられるようにならねば>
この一件で世間の厳しさを知り、
特に人のいるところで迷惑になる振る舞いをしないようになれたつもりだ。
素性も知らぬこの辛子色のブルゾンパンチマンに感謝している。

それ以来僕は、電車やホーム、路上で人に迷惑かけている輩を見ると
まずおしとやかに、かつ毅然とした口調で御注意申し上げる。
文句ありそうな顔したら、少し声を張り目つきにリキ入れて
なぜそれが悪くてみんな迷惑しているかを説明して差し上げる。
それでもわかんない酔っ払いがいたら、「降りようか」「あっちいこうぜ」など
移動するのはいかがでしょうかと御提案。
だいたいここで終るけど終らない時は、どう転んでも最後は警察というのは同じ。

毎年ずっと見に行っている甲子園高校野球観戦でもマナーのない子供が増えた。
平気でネット際席の僕の前に立って視界をふさいだり
「すいません」もいわずに狭い通路をずんずん進んだり。
僕はもちろん本気で怒る。
「人の前を当たり前のように立つもんじゃないぞ!」
「すいませんぐらい言ってから通れよ!」
何年か前、ネットに群って大勢に迷惑かけてる傍若無人な小学生に
知らないオヤジが胸ぐらつかんで怒鳴りつけていた。
「このクソガキ! 親連れてこいや!」
すかっとした。ええでええで!である。
このオヤジみたいなのがいないと、社会はいい方向に進まない。
暴力がいいと言ってるのではなく、悪いことしたら怒られるという感覚を、
特に判断基準が見えない子供には染み込ませていいと思う。
だって怖くないと悪いことを自由にするからねえ。
犬のしつけも同じで、びしっと言う時言わないとやみくもに暴れたりする。

仕事だって怒っていい時はいいと思う。
怒らないでスムーズに流れていくほうがいいけど、
人間は理論より先に感情があったのだからそこを
抑制しなければいけないということもない。
悪いことして怒られれば納得するもの。
理不尽に怒るのはよくないし、そんな人はすぐ淘汰される。

「石黒さんって絶対人に怒らないでしょう?」
と言われたことが何度かあるが真逆です。
よっぽどでないとニコニコしてるけど
不誠実、約束反古などなど人としてどうなんだいう時は電話口で怒鳴ったりもする。
ここ8年ぐらいで電話の向こうで泣いてしまった女性編集2人、
驚きで言葉が出なくなった男子編集者1人。
でもたぶんその後、お互いの信頼は強くなったと実感している。

高校時代、毎日のように(誇張ナシ)殴られていた先生がいて、
その先生の人間味溢れる人柄、あたたかみはすばらしく、一生忘れられない方だ。
怒ることは、面倒なこと、相手とコミットしようということ、
その人に向上してほしいと思っている証。
どうでもいい人に怒るのは、お金儲け宗教とか脅迫ビジネス。
怒る人にはなっているつもりだけど、
もっともっと、怒られる人にもなりたい。

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2010.3.26

ジャーナリスト専門学校なくなる

母校がなくなる。
これはかなり貴重な体験だろう。
3年前に産みの母親が死んだ時、
友人にお知らせを出そうとして名簿やアルバムを見ていて、
彼女の出身小・中学校がなくなっていたことがわかった。
金沢の山奥なので過疎が原因なはず。
その時は、僕の小中高はなくなる可能性はまずなさそうだから
そんなこともあるんだな、としか思わなかったものだ。

ところが、その後に3年間通った
日本ジャーナリスト専門学校が3月で閉校する。
たぶんそうなるだろうと情報筋から聞いたのは2008年の秋。
驚いたが、状況を考えれば納得はできた。
でも、とにかくまず、寂しかった。
ここに対して強い母校愛があると意識したことはなかったので、
そんな自分の気持ちが意外でもあった。

ネットのニュースで「ジャーナリストの時代は終った」という見解も見受けたが、
僕は、もっとシンプルに、経営者サイドの、理念の欠落、
先見性のなさ、あぐらをかいた姿勢が相まった失敗なんだと思う。
ジャーナリストは社会にとって重要な存在であり、
求めらない時代などないし、また、なくなってはいけない。
そして理念なしで、ビジネスオンリーにしてほしくはない。
もちろん生活との現実的な折り合いはつけて当然だが。

ジャーナリスト専門学校は、そうした志ある人たちの私塾的なものとして生まれた。
その中でも特に、端的に言うと、サヨクな人々である。
初代校長の、青地晨氏は、
冤罪の恐怖について執筆活動を続けていた。
僕は入学最初の授業が青地先生だった。
その頃は、青地先生以外にもジャーナリスト魂を携えた方々が、
それこそ「ジャーナリストを育成したい!」という理念に燃えていた。
そこに集まってくる学生も当初は目的が明確だったし
学校の規模も小さいうちは、先生と生徒がガチンコで意志を通じあわせていた。
しかし、僕が入学する前年に、学校法人となり、
<短大卒と同じ資格>を取得できる、なんてことになり、
たぶん宣伝にも力を入れ始めてのだろう。
理事はジャーナリスト出身ではなく経営者だから
やはりビジネスとして大きくしていきたかったはず。
僕が入ったころは定員を軽く超える詰め込み方で、
入ってくる学生も「大学落ちたからまあここなら聞こえもいいし」
という理由が大部分。
この時すでに閉校の序章は始まっていたとも言える。

僕自身は、ジャーナリスティックなものを書きたいとか、
そちら系の編集者になりたいと思っていたわけではなくノンポリ(笑)的で、
3年間で出版の中で何をやれるか考えようぐらいの漠としたビジョンでしかなかった。
それでも同級生たちの多くがあまりにも目標を持たないことに驚いた。
しかし、学校経営的にはホクホクだっただろう。
「総合科」「編集科」「ルポ科」「放送科」「広告科」という
専攻科のイメージもかっこよく響いていた。
大学じゃなくてもかっこいい世界に入れるかも、という幻想をつきつけて。
その後、どんどん規模を拡大し、新校舎も建設。破竹の勢いのように見えた。
しかし、大規模な生徒を抱える学校経営でジャーナリスト育成は無理があった。
だから、手遅れになる前に、まずは学校名を、
多くの生徒を集めやすい、時代に沿ったリアルなものに変えればよかった。
すでに入学してくる生徒も「ジャーナリスト」を目指す人はほんの一握りだったはず。
それは講義をしていて感じた。
ベタでいいから万人がイメージしやすい言葉で、
たとえばだけど、「クリエイティブ専門学校」「メディア専門学校」など
伝達するとかモノづくりなどの方向へ。
ジャーナリストは専攻科としてならアリだったかもしれない。

僕は、ここが正式に専門学校となってからの2期生。
3年コースの<総合科>に入ったのは、
芸大を形だけ3浪しバイトと酒と麻雀でぐだぐだな日々を過ごした後、
ここで将来に向けて建て直さねばと気合いが入ったから。
だから、人生で唯一、まじめに学校に通った。
学費を自分で払っていたので、サボるのがもったいないと考えてもいた。
たしか入学前に計算したら、1時間授業受けるのに800円ほどかかることを知り、
それが当時の名曲喫茶バイトの時給600円を軽々と超えていたことも
僕の背筋をしゃきっと伸ばした理由である。

同じ年にルポ科入学した中に、二宮清純氏がいた。
接点はなかったので話はしたことなかったけど、
学内フリーペーパー作るなどガッツ入ってすでに目立っていた。
出版の世界に入ってからは、
3年もかけてあんなママゴトのようなことをやったもんだと思ったけど、
その時はそれなりに学んだ気になっていて、
野球部を創設し初代主将となるなど、充実といえ充実した学校生活。
卒業時に総代となったのは、野球部監督が生徒課の職員だったから(笑)。

先生方、職員の方は、いい人が多く、がんばっていたはず。
最後の幕引き役となってしまった現・校長の、文芸評論家・上野昂志先生は、
設立以来の生え抜きで、僕も授業を受けていた。
その先生の最後のあいさつがサイトに載っていた
温厚な上野先生らしい誠実な文章である。
ここに書かれたように、2000年あたりから生徒数が減っていたようだ。
実はちょうどその頃、僕は何度か単発の講義をしに行った。
懇意にしている方から
(このままだとまずいので、まずは講師として関わりながら
少しずつ発言していってガツンと改革し建て直してみないか)
という話をいただいたことがある。
呑んでゆっくりと話を伺い相当迷ったのだが、
関わること片手間では気が済まなくなり、
事務所の運営や自分の本造りがとてもできなくなるりそうで辞退させていただいた。
しかし、自分なりに順序立てたビジョンはあったし、
成し遂げる目標の大きさからもやってみたい気持ちもあっただけに
その後もずっと、はらわたにもやもやしたものが残っていた。
「オマエはOBとして果たすことを果たさず逃げているんじゃないか」
ふとした時、そう、自分が自分に問うてくる。
すると、恩返しをしていない、とチクリと痛みが走るのだった。

そしてついに。
僕は何もすることなく、あと1週間で学校はなくなってしまう。
生まれて初めて、母校がなくなる思いを知る。
卒業式から25年。
寂しさと、少しのうしろめたさ。

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2010.3.18

高城剛氏ブログから考えるー情報の審美眼を

昨日から、これを書かねばと決めていた。
ぬるめな雑記が多いブログなのでこれは珍しいことだが
たまに、こんなふうに、どうしてもこれ言いたいという衝動が湧き上がる。

高城剛氏ブログについてだ。
と言っても高城剛氏に物申したいとか、関連事項としての沢尻エリカ云々とかではない。
あの文面を読んだ人の好意的な感想から思う、これからの社会全般への警鐘である。

普段芸能人などのブログを好んで読むことはまずないが
たまたまツイッターにあった何人かのコメントーリンクからこれを読んだ。
最初の人の見解をイメージで伝えれば
「あっちゃー、それはないよおいおい…」という感じ。
僕も同じだった。
この人も沢尻エリカも、好きではない。
けれど、なるほどいいこと言うなと感じれば、
印象とは切り分けて納得したり賛同したりする尺度は持っているつもりだ。
ちょっと話は変わるが、イチローの、
カッコよく固めて血が通ってないインタビューは嫌いだが
野球選手の技術や精神力には最上級に尊敬しているのと同じ。
だから、どんな人が書いたものでも話でも先入観はなしで読み始めるよう、
仕事柄もかなり意識している。
さてこの高城氏の文面だが、少なくとも以下の2点はウソでしょう。
<今日街角で大きな君を見つけて、感涙しました>
<君が仕事に復帰すると聞き>
ウソであるという証拠など何もないが、
じゃあホントなのかとリアリティを求めてイメージし、
ウソとホントどちらにどの程度の可能性があるかと考えれば
大多数の人は<ウソだよそれは>という見解が出てくるはずであり、
読んだ人はほぼ全員が当然ウソとわかる文面だと思った。

<我が家では、仕事の持ち込み厳禁だから、お互いの仕事のことを話す事は一切ないし>
とあり、それはまあありえる。
ただし、それも程度問題でしょう。
だって、沢尻エリカは事務所解雇だ海外生活だとブランクがあり、
メディアを賑わわせる話題性じゅうぶん、
これだけセンセーショナルな復帰劇を、夫がまったく知らなかったと?
読んだ方々が自分に置き換えて考えてみれば「それはありえなないよなー」と思うだろう。
だって、自分の一生に関わるような重大案件について一度も話してないのかと。
そんな夫婦がいるならば、お互いに興味がなくなったか
反目し合っているとかそんなことではないか。
この文面の、「妻への愛」はすばらしいしことだし
それが溢れた心情そのものは本当だと感じる。
あたたかくていいなあと普通に思う。
しかし、この復帰劇はタイミングも打ち出し方もマスコミ対策もマネジメントも
おそらく高城氏が骨を折って仕込んだ作戦ではないかと、
証拠はない私見だがおそらく誰もが思っているはず。
だから、むしろそれ聞いて夫婦愛の強さとしていい話ではないかと思うぐらい。

<もし問題があるとしたら、きっとそれは「挨拶」じゃないでしょうか?>
とのくだりも二人のイメージアップ戦略としか感じない。
内容はその通りだと思うし、これまた日本中がわかっていること。
ならば、結婚してから日々過ごす時間で、直接言えばいい。
何もブログを通じて、しかも復帰に合わせて言わんでエエだろうが、
とノムさん口調になったのは、
ノムさんが新聞記者につぶやく言葉を、紙面通じて選手に伝えていたという
エピソードを思い出したからだけど、まさかその手法かよ、と。
直接こんなことを指摘してあげられないほど手を焼く妻とは
思えないと書こうとして、あ、あるかも?とも思ったが(笑)
ならせめてメールかツイッターのDMで伝えてあげるとか。
彼女のためにも。

たとえこの話がウソであろうがホントであろうが、
僕は興味がない有名人夫婦のことなので、この人たちを批判をするわけではない。
しかし、この文面を読んで賛辞の声や
「この人を見直した」的なツイートを見て、これはよろしくないなと思った。
なぜならこれは戦略としての文面であり、
もしそこにウソが混じっていたら看破し、
「虚偽はよくないぞ」という人として根本的に必要な批判感覚を持ってほしいのだ。
何も計算したメッセージを否定しているのではない。
有名人だから、その行為は当たり前だし、
誰だって、自分がやりたいことや目標に向かって
メッセージを発信していくのはいいことである。
ただし、そこにウソを混ぜるのは断じてよくない。
打算なく腹の底から発したメッセージは、
人間の本能的な判断アンテナに訴えかけてくるものがある。
しかし、この文面にそれは感じず、高城氏が腹を見せている印象はまったく受けない。
断っておくがこの感想は、文章自体の巧拙のことではない。
「いい文章だ」というコメントも見受けたが、
それがつづり方という意味でならとても納得できる。
最後から逆算して構築されていて、読み手へに届かせるリズムなども
構造として巧みだとは思う。
ただし、いうことが本物とは決して読み取れない。
また、戦略としても練ってあるのだろう。
ポスターが貼られてすぐあと、みんなが一番注目するでろう日に街で見たと言う設定。
だけどとにかく、ロジック以前の問題として
匂いをくんくんかげばこの内容が合成物質的香りだと感じてほしい。
ナチュラルでなくケミカル。

高城氏のことは、悪事に絡んでいるわけでもないし、
特に誰にも迷惑をかけているわけでもないだろう。
だからジャーナリストが深追いする必要などない、
スルーしていけばいいたわいない話。
しかしこれが、たとえば押尾問題など人が死んでいる事件だの、
公費横領や私腹を肥やすための謀議、市民のためにならない国家規模の問題などであれば、
メッセージに潜んだ「ウソ」を感じ取り、
自分なりに検証し、一人一人が「好み」ではなく「善悪」を判断していかねばならない。
そのためには、大切なニュース、レポート、論説に対する
審美眼を日頃から養っていく必要がある。
常にうがった見方をすることを奨励しているわけではないが、
鵜呑みにしないクセ、をつけよう。
素直さは大事だが「考えない素直さ」は危険である。
話は少し逸れるが、盲導犬育成現場では「利口な不服従」というキーワードがある。
たとえばこういうことだ。
目が見えない人が横断歩道で青になった音を聞き、犬に「GO!」と言ったとする。
その時、信号無視で車が向かってきていたら、
盲導犬は前に行かないように訓練していくのだ。
それと同じことで、即受け容れのクセをつけず、
何でもかんでも文句つける、「下なのに上から目線」の手合とは一線を画しつつ、
いいものはいい、違うものは違うと感じ取れるフィルターを脳と心に携えていきたい。
日々、自分に押し寄せてくる情報をジャッジする眼というか心。
生花を見て美しいと思うだろうが、
いかに本物そっくりに作られていても造花では心底美しいと感じないはずだ。
その感覚を養うためには、マニュアルはなく、
自分で検証し、外したり当たったりしながらじわっと堆積させていくしかないだろう。

新興宗教に惑わされて大金をつぎ込んでしまう人がいる。
マルチ商法にハマり友人を遠ざけてしまう人がいる。
言われるがままに株を買い大損する人がいる。結婚詐欺に遭う人がいる。
その方たちは気の毒なことではあるが、自業自得でもある。
自分の欲望や依存心から、相手のウソを見抜けなかったわけでもあるのだから。
およそ、有史以来、自分の欲のために美辞麗句を並べ人をだます人世界中に常にいる。
本当はそんな人がいない社会を求めたいが、事実上それは無理。
ならば、やはりまず他人の言い分をジャッジしないといけない。

昨年から今年にかけて犬や猫の殺処分問題を扱った本を作っていて、
その流れの中で、以前から漠然と知っていたことを考えさせられた。
福祉便乗商法に関わることだ。
殺処分は「いのちを軽んじる人間」の根絶すべき問題だ。
そして、犬や猫たちがかわいそうと思う人が増え、
そのムーブメントが高まりつつあると感じている。
そこで危ないのが、寄付したい、何か力になりたい、
と純粋に思う人々の善意をビジネスに利用しようとする人がいるのではないかということ。
サイトなどでは一見、純粋に社会貢献活動しているように見える団体が
よくよく見るとなんのためにどんな活動をしているのか見えてこないことがある。
寄付を募ってなくとも、たとえば可能性としては
マネーロンダリング的なことやもっとなにかしらお金に関わる結びつきがあるのかも、
とウソの証拠などないが、ホントとも思い難いケースがあった。

似た話で、僕がは直接は知らないが、
補助犬(盲導犬、聴導犬、介助犬)の世界でも
昔その類いのことがあったようだ。
今でも、全国の団体の中にそんなところはないことを信じたいが、
絶対にひとつもないとは言い切れないと思う。
かといって、限りなく全部に近い団体は純粋に活動しているはずなので
寄付などはどんどんしてほしいなと願う。

殺処分問題、補助犬問題に限ったことではなく、
人の福祉に関わること全般に関わる、注意すべき大事なことである。
献身的な気分になることに乗じて
巧みに言葉を並べ、偽善ムードで固めて、
だましてお金を得る輩は必ず現れるといっていい。
だから、目の前に現れるその人がいい人かそうでないかを見極めねば。
90%以上はいい人だろうが、残りの10%である可能性をちょっと考えたい。

そしてそのフィルターを携えておきたい最大の案件が戦争阻止だ。
たとえば、ナチスドイツのゲッペルス宣伝相、大本営発表、
その他、世界の歴史で実践されてきた数限りないプロパガンダが、
どれほど多くの人々を深い悲しみに落としてきたか。
人のいのちが失われていくことが、どんなことより重要な
人間が食い止めなければいけないことだ。
金銭欲、征服欲などを満たしたい一握りの人間に煽動されないためには、
地球上の一人一人がそれはおかしいんじゃないか、とまずは気づくこと。
大本営発表時代はニュースソースがそれしかなかった。
しかし今は誰でもいくらでも情報はつかめる。
だからこそ、見極めたら連なっていい方向に動ける。
そのためには、一人一人の審美眼を養わねば。

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2010.2.3

いのちについて、そして魚に謝る姥

あさって2/5、
昨夏から作り始めた渾身の本が刊行になります。
著書ではなくプロデュース・構成したものです。

手前味噌ながら、多くの人が、
人間らしい気持ちを取り戻せる本になったと思います。
今日はここを読んでいただいているみなさまに、
平に伏してお願いがあります。
臆面もなくただがむしゃらに言わせていただますと、
ひとりでも多くの人に手にとっていきただきたく
リンクやメールなどでの告知に、ご協力いただけませんでしょうか。

世界中で起こっている、戦争、殺人、傷害など凄惨な事件。
それは、本来すべての人間が本能として携えている、
いのちに対するいたわりを失ってしまった人がいるからでしょう。
あたたかな気持ちを失わなければ、
まずは人が苦しませないことを立脚点として物事を判断するはず。

特に子供のうちからその感覚が麻痺すれば
子孫の時代には地球はどうなってしまうのか。
おそろしいことです。

いのちは、人間にだけあるものではありません。
生きとし生ける生物すべてにあるもの。
いのちの価値は、どんな小さくても、
言葉を話せなくても平等にかけがえのないものです。

昨年作った本
の中に出てくる津軽の姥の話。
<台所で料理している時、カッカはいつも魚に「わりな。わりな」>と謝っていた>
このくだりを読んで涙してからは、
虫も叩かずに窓から追い出すようになりました。

先週、4年がかりでやっと通った企画、シベリア抑留者の本では、
戦争で悲惨な目に遭い、ロシアの凍土に埋められていった
日本兵の暮らしを描いた油彩画87枚が、
いのちを消し去っても平気な人がいたという事実を突きつけてきます。
逆に、日本人とて、昔から、外国の人々のいのちを奪ってきました。
第二次大戦の侵略地でのことはもちろん、
豊臣秀吉が朝鮮半島で行ってきた許しがたい行為を知った時は
日本人であることがいたたまれなくなったものです。

少し話が逸れましたが、
あたりまえのように流れる日々の凄惨な事件のニュースで、
いのち、は、最上級にたいせつなものであることを見失いそうになります。
打算や憎悪で対立し争う人間同士に対しては、
感覚が麻痺してはいないでしょうか。
物言えぬ、抵抗できぬ、無償の愛情でつながる動物たちをいたわる気持ちは、
人に対するあたたかな目線にも必ずつながる。

この本でそんなことを感じ取ってくれる人が
ひとりでも増えてほしい。
そう強く願っています。

都内書店20軒を、写真入り自作POPを手にあいさつ周りします。
みなさまも、いのちの尊さを忘れない社会を願って、
どうか、応援のほど、切に、よろしくお願いします。
犬と、いのち

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石黒 謙吾

著述家・分類王
1961年 金沢市生まれ。
今では書籍の執筆がほとんどですが、プロデュース&編集も少しやってます。
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元気が出る予感の年譜
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興味ワードを手当たり次第ランダムに。う〜〜〜ん、ランダム(念/マンダム)

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