仕事で知り合った著者、編集者から、昔からの友人の、こんな人です、的な話。あと、有名人のことも好き勝手に。大基本としてホメモードでいきますが、たまに少量の毒が盛られるかもしれません。ふふふ♥

2010.3.17

高木ブーさん、喜寿を祝う会に

今日7時から、お台場のフジテレビ球体展望室「はちたま」
というあの丸いところに初めて乗っ込む。
高木ブーさんの喜寿を祝う会」である。
いろんな意味で響きにインパクトのある会だ。
まず、案内状には、
「発起人ーザ・ドリフターズ 加藤茶、仲本工事、志村けん」
とある。
いかりや長介、荒井注 という名前が揃わないとろにまず、
ああ、そうだったよね、と寂しさも漂う。
そして喜寿。77歳。おめでたい。

きっと、イザワオフィス、ナベプロ関係者、はじめ
芸能関係者が集っていかにもなハデさだろうなあ。
芸能界との縁はさして多くない僕は場違いな感じでもあるんだけど
ありがたいことに招かれた理由も納得なので
おずおずと参加し、
たぶんごった返しているであろう芸能人をミーハー気分で見つつ
隅っこに小さくなっていようと思う。

「8時だョ!全員集合」が始まったのは、
1969年秋。僕は8歳。
第一回目を見たことは覚えている。
内容はまったく記憶にないけど、
子供心に、どんちゃん騒ぎみたいなハジけた番組だなあと思った。
1933年生まれのブーさんはこの時、36歳ということになる。
それから41年、ドリフでは静かないじられキャラ、カミナリさま、
と身体を張って三のセンを演じてきた。
特に1973年から78年まではキャンディーズがレギュラーだったこともあり、
(またそこかよ)
僕はキャン解散の高校2年まで、どれだけ毎週欠かさずブーさんの姿を見ていたことか。
ワンテンポ遅れたアクションで長サンにメガホンで叩かれるシーンが思い浮かぶ。
ドリフの舞台では、特に合唱隊とか、
ネタをミスった時などよく内輪ウケ的な部分を
あえて隠さず、画面上でにやけたり拭き出したりしていたが、
そんな時のブーさんが見せる笑顔の細い目が好きだった。
とことんやさしそうだなあと思っていた。

そんな、視聴者として一方的に知っているだけのブーさんとの縁が
できたのは、1996年夏。
カミサンが、友人の付き合いで、
東京下町のナントカ会館みたいなところで、
ハワイアンのイベントを見た時からである。
そして、……家に帰ってきたカミサンは、……言っ…た。(プロジェクトX口調)
「高木ブーさん、ウクレレ弾いて歌ってて、それが本気で、すごくよかったよ!」
その頃僕は、フリー編集者2年目。
よちよちと歩きで仕事を始め、手がけた単行本が出て間もない時。
今でも同じだけど、面白そうなものにはすぐに飛びつくサガが出る。
「えっ、そうなの!? それオモロイじゃん。キャッチーだし。
CDとかできるんじゃないの!? SONYのAさんに言ってみるよ」
さっそく翌日、ただ思うがままに、
懇意にしていたSONYレコードのAさんに電話。
この人がまた、面白がるセンスが近い。
レベルの高いダジャレを切磋琢磨するダジャレ盟友でもある。
「えーっつ、それ面白いじゃないですか!
今からなら冬に向けてクリスマス時期のCDとかね」
Aさんがまたクイックリーな行動で、即アポ。
数日後に、Aさんと共にイザワオフィスにお邪魔し本人にご相談。
とんとんと、本当に3ヶ月後の1996年11月、
『高木ブー ハワイアンクリスマス』
が発売に至った。
直接の仕事としては、企画のコーディネートと
ジャケット制作したぐらいだったけど、アイデア考え、
クリスマス系生地で、ブーさんのアロハをスタイリストのK姉さんに作ってもらったり、
初めてしっかりしたレコーディング&スタジオ作業に立ち合わせてもらったりと、
面白かったなあ。
特に、当時はまだあった「信濃町ソニースタジオ」通称「シナソ」
にずっといられたのは至福だった。
ああ、ここでャンディーズはレコーディングしてたんだよなあ、
そういえばここライナーの写真で見たなあ、と遠い目(またまたそこかよ)。
それもそうだけど、
他にCDに仕事で関わったのは計3回しかなく、
コレ と コレ
貴重な体験を、ブーさんのおかけでさせていただいた。

その僕が関わったCDはそこそこ評判を呼び、
その後、ブーさんはソニーから何枚かウクレレのCDも出し、
少なくとも誰もが「ハワイアンの高木ブー」というイメージが
インプットされているぐらいには世間に認知されたはず。
その96年からだってすでに14年になるわけだが、
この間、もともと本気の本気で、ウクレレ大好き、
東京ガスの内定を蹴ってまでミュージシャンの世界に飛び込んだ
ブーさんはとても充実していたんじゃないかと思う。
テレビでウクレレを弾くブーさんの嬉しそうな顔を見る時、
その活動に、かみさんの雑談と僕の電話が
ほんの少し関わっていると思うとうれしくなる。

僕の父親は、2年前、77歳で死んだ。
そっか、うちの親と2つしか違わないんだなあと今気づいた。
けれども、ブーさん、まだまだばりばりお元気のようである。
いつまでも細い目の笑顔を見せていただきたい。
7時が楽しみだ。

ランちゃん、いや伊藤蘭さんは来てないかなあ……。
(結局そこかよ)

↓ これが僕が関わったブーさん初のCD
Hawaiian Christmas

↓ これはそのあとの
Vintage~BOO’s Hawaiian Songs~

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2010.2.26

本物のエコとは「人を愛する気持ち」

NHKの「美の壺」が好きだ。
「アート観賞マニュアル」とサブタイトルについているが
まったくマニュアル感は感じす、むしろエンタメである
マニアックになり過ぎず、ざっくりとカジュアルに、
いい意味で浅めに知的好奇心のまさにツボをきゅきゅっと押してくれる作り。
僕は和的なるものに惹かれるので見始めた。

体調面からであろう、昨年、谷啓さんが退かれたのは残念だったが、
意外なキャンスティングで継いだ草刈正雄がハマってきているように感じる。

すでに3年以上158回が放送されている。
谷啓時代は和モノオンリーだったけど、
草刈時代に入って(なんか縄文時代っぽい)
ピックアップするテーマの範囲を広げて、
洋も含めた生活周りにある美的なものを拾っていく。

あまりにいい番組だったので、
本を作りたくて、2年ほど前には
人づてにプロデューサーに会いに行ったほどだ。

そんな大好きな番組に、今晩、
尊敬する人物がフューチャーされる。

田中忠三郎
青森で民具の収集、研究を続ける在野の民俗学者。77歳。
黒澤明、寺山修司も瞠目し、
都築響一さん撮影の『BORO』という本にもなった
BORO―つぎ、はぎ、いかす。青森のぼろ布文化
2万点のコレクションについても逸話はありすぎて
書ききれないが、この方を敬愛できるのは、
その、人の心に向かう姿勢である。
もちろん物を集め、研究しているのだが、
すべての根底には、
人々が昔から守り、つなぎ、愛しててきた生活と人の心そのものを、
民具を通じて残していきたいという思いがある。
本人は決してそう強調するわけではないが、
そこが端々に伝わってくるから、聞いている人の胸を打ち
この人のためなら、と人が動く。

黒澤映画に貸し出す昔の衣装何百人分もの収集依頼があった時、
自分が高校生の頃見て自分の信念を支えてくれた
「我が青春に悔なし」の恩返しだからと、
お金はいりませんと自腹で集めた。
そのお大きなお金を借りるために銀行に出向き、
「担保はありますか?」と聞かれ
「キンタマ2つあります」と真顔で言ったら銀行も貸してくれたという。

高校生から20代まで、縄文土器発掘に没頭した。
野の葉っぱを食べる極貧生活を送りながら
6年にもわたり、たったひとりで真冬の田んぼを素手で掘り続けた。

その後、民具収集へと活動は移ったが
津軽の村々を地道に、それこそ地を這うように訪ね歩き、
お金はどこからももらうわけでも集めた物を売るわけでもなく
ただただ物と歴史と人への熱情で集め続けていった。
その中から得たものは物だけではない。
他意なく訪れてくる人間に対して心開いた老人たちが
先祖代々語る継がれてきた生活ぶりををたんたんと語っていった。
そんな何十年にもわたる無償の行動が、
図らずも、ひとりの貴重な歴史の語り部を産んだのである。

昨年、先生の本、『物には心がある。』
をプロデュース、編集させていただいた。
書店流通はいまのところしていないが
アミューズミュージアムで買うことができる。

この帯に書いたメインコピーが
本物のエコとは「人を愛する気持ち」

消えゆく生活道具と作り手の思いに魅せられた人生
次世代に伝えたい「やさしさ溢れる暮らし」

物を産み出すのは人間。
人間を生み出すのは人間。
話を聞くたびに、僕の思いはそんな、
だからどうしたという禅問答のような当たり前のことに帰結した。

深いやさしさに触れた時、それが自分に向かうことでなくとも人は胸を詰まらせる。
先生の話を読むゲラに向かい何度涙したか。
浅草に行く機会があればぜひミュージアムに立ち寄り、
先生のコレクションを見て
この本を求めていただければと思う。
きっと、すり減りがちな「人っぽい」心をリペアできるだろう。

本の終わりの項目、僕の人生の指針になったとも言える
一節を記しておきたい。

(以下、抜粋)
──人は自分でなんでもできると思ってはいけない。
できないこともあるものだ。死んだら、誰かの手を借りて、焼かれて骨になり、
その骨を土に還すため、埋葬してもらわなければならない。
生前、周囲の人々に慕われ愛されていた人は、
亡くなってからも近隣の人たちが集まってきて、その人をいたわり、
別れを惜しむようにその身体のあちらこちらを手のひらで撫さすると言う。
だから遺体が硬くならない、つまり死後硬直が起こらないので、
丸い樽の形をしたお棺にも簡単に入れることができた。
ところが、生前は栄華を極めた人間であっても人々に好かれなかった者は、
死んだら最後さする者など誰もおらず、

遺体は硬直し、棺桶に入れるだけでも一苦労だったという。
いまわの際に、「もっと金を稼いでおくべきだった」
と嘆きながら死んでいく人間はいないと言う。
人の本当の価値はその人が死んだときにわかる。
だからこそ、普段から人さまに優しくしておかなければならない。
人さまを馬鹿にして笑ったり、罵ったりしてはならない。
祖母は繰り返しそう語った。

タナチュウ先生の番組、今晩です。

「青森BORO」(番組トップで予告動画アリ)
今晩(26日 金曜)夜10時から。
再放送は、たぶん今度の日曜夜中0時15分から。(翌週かも?)

見て欲しい。

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2010.2.15

暴走族発、少年院、南米経由、新聞記者着

暴走族副総長から、少年院を出て、
その後、南米を放浪して新聞記者になった男が
先日2/9、“母校”で講演し
その様子が毎日新聞に載った

吉永拓哉32歳、
違いがわかり過ぎるほどわかっている男のネスカフェ背筋も凍るどブレンドな、
波乱ウクレレ…いや、万丈な半生はこんなだ

吉永さんの本を、2冊手がけさせていただいた。
『ぶっちぎり少年院白書』
『ヤンキー記者、南米を行く』

この人、とにかく、義理堅く、
コワモテな外見とは真逆で、これでもかというほど腰が低い。
「はいっ! そうさせていただきます!」
「ありがとうございます! 最高うれしいです!」
はきはきとした受け応え、節度ある振る舞い。
本を作り始める時、作っている時、終ってからなどなど、
ちょっとした節目ごとにしょっちゅう手紙を送ってきてくれる。
誠意が滲み出たていねいな、かつ力強い文字で、
感謝の気持ちをしっかりと綴ってある。
手紙を書く習慣は少年院で身に着けたと言う。
僕が仕事してきた人の中でも、
感謝の気持ちを伝えることを実践しているのはダントツ吉永さんだ。
いつももっともっと見習わなければと頭を垂れる次第。
でもなかなか真似できないものである。いかんなあ。。。

少年院の本が、読売新聞書評で映画監督の西川美和さんに絶賛していただき、
本人が南米の本を今回送ったら、
いきなりメールや電話で意気投合してるようです。

先に知り合ったのは弟のヨシナガコウタクさん。
4〜5年前かな。
デザイナーからの紹介で「イラストを見てください」とメールがあり、
その絵を見て、<これは天才!!>としびれてすぐに会った。
今は家業の都合で福岡に戻り、絵本作家として売れっ子になったが
その頃はまだイラストだけ描いていた。
何かやりたいですねと盛り上がっていたら
「実はうちのニイイチャンもおもしろいんですよ」
と経歴やら絵などをいろいろ見せてもらい、
そこで僕の生来のヤンキー魂と編集者魂がめらめらと燃え上がり、
拓哉さんが東京来た時に会わせていただいてからおつき合いが始まった。

ちなみに、妹のYURIさんもイラストレーターで活躍中という、
才能溢れる3兄妹である。

昨秋、『ヤンキー記者、南米を行く』の出版パーティに呼んでもらい、
何度も手紙をいただいていたお父さんにもお目にかかったが、
アツく面白く人間味溢れる方で、
いろいろな人がこの方の人柄に惚れて集ってくるんだなとスッと入ってきた。
お母さんもにこやかで、飾らないのに華を感じさせる方で、
ああ、このご夫妻ならば、こんなステキな兄妹が育つんだろうなあと
家族愛を感じてほっこりしたいい気持ちになれた。

吉永拓哉さんに関してのネタは面白いものがありすぎて、
今すぐはかいつまめないほどの量(笑)。

近年、めっちゃカワイイ彼女をゲットしたのだが、
昔のヤンキーとしてのちょい先輩で、
レディースというより、「ケンカが好きだからですね」
とおっとり語っていたが、
一見筋のものかと思う吉永さんも
当時はめっちゃ怖かったらしい。
人に歴史アリ。

計算打算でなく人の心を打つのは
人間力だなあと、わかっていることでも、
この人と接するたびに反芻する。
また、こういう人と知り合えるのが編集者の醍醐味であり、
ビンボーでもでもそんな仕事をさせていただいていることに対して
たくさんの人、先祖、運命に感謝しなければと、
そういうことも思い出させてくれるのが、
少年院と南米放浪で得難い経験をし、
人の心のあたたかいつながりが、
煮込まれて沁みこんだ吉永さんの心なのだと思う。

ヤンキー記者、南米を行く

ぶっちぎり少年院白書

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石黒 謙吾

著述家・分類王
1961年 金沢市生まれ。
今では書籍の執筆がほとんどですが、プロデュース&編集も少しやってます。
やや長めのプロフィール
元気が出る予感の年譜
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興味ワードを手当たり次第ランダムに。う〜〜〜ん、ランダム(念/マンダム)

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