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2010.3.14 ネタエッセイ部

つぶした声と声の好み

2007/7/25のメルマガあいさつ文から若干改稿。

土日は更新しないこともありますが
そんな日は過去モノネタから見つくろってどうぞ。

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好きな声の人は誰かと聞かれて即答できない人が多いようだ。
ルックスほど意識してないからなのか。
でも、間逆に、好みの声だからと好きになってしまう人もいて
それは僕の知りうる限り、ほとんど女性である。
男は視覚のほうを重視するんだと思う。
産まれて最初に刷り込まれる顔、母親が異性なのと関係あるかなあ。

僕は、子供の頃、いい声だなあと意識した最初の芸能人は
王道中の王道で、
男ー林隆三
女ー大原麗子
だった。

その頃、歌声を聴いた近所の人が
「ウィーン少年合唱団が金沢に来たのかと思った」と
言わしめた僕のボーイソプラノは(ねつ造)、
高校入学2年間、キャンディーズ解散までで劇的な変貌を遂げた。
追っかけ100ステージで
「ランちゃんスーちゃんミキちゃん」だの
「C・A・N・D・I・E・S HEY!」だのと絶叫を繰り返し、
そこにアルコールとニコチンを大量に浴びせ続けた結果、
つぶれにつぶれ、テキ屋のオヤジさながらのダミ声となっていた。
東京に来てからは、草野球という絶叫のためのステージが現れるや
バス化に拍車がかかっていく。
結果それこそ林隆三レベルに低音になったのに、
自分の声は今までずっと相当に嫌いだ。

上京してすぐの18歳の頃、
低過ぎてコンプレックスを持っていたそんな声に反応したのは、
新小岩の中華屋のおっさんで、カウンター越しに彼は言い放った。
「あんちゃん、いい声だね」
それ以降、褒められる機会は増えていったが、
プライベートではいい思いをしたことは皆無。
しかし、仕事では、ある意味、役立った。
「電話で話してナメられない」のである。

雑誌記者見習いとして、講談社『PENTHOUSE』編集部に初めて行った22歳の時、
「じゃあ今からここで、北海道から沖縄まで各県の警察に電話してくれる。
で、暴力団のピストルの事件の状況聞いていって」
と当たり前のようにさらりと言われた。
これにはまだ学生だった僕は相当にビビった。
時事通信社でバイトはしていたが、雑誌の現場に初めて来て
いきなりこんなミッション。
フリー記者机の周りに編集者がいっぱいいてものすごい緊張だ。
でもここでやらねばまず失格なんであろうと
バンジージャンプを踏みきる気持ちでたただもうガムシャラに
電話をかけはじめた。
恐かったので低い声でぼそぼそ電話していたんだけど、
これが意外とマッポ……いや警察官が話してくれて、
この時テキ屋声に初めて感謝したものだ。

続いてはその数年後、25歳の時。
電話でアポ取って会いに行ったC-C-Bの(懐かし〜)マネジャーに、
「40歳ぐらいの人が来ると思ってましたよ!」
と待ち合わせのロビーでなかなか会えなかったことがあった。
このように電話の声と会った印象が違うと言われたことは数限りなく。
そこで昔は「うわー、若い人だったんですね!」
と言われたものだが、さすがにもうそれはなくなったなあ。
渋谷歩いててキャッチに声かけられなくなった女子の気持ちが、わかるね。

人がどう思うかに関わらず、今でも自分の声は好きじゃない。
ラジオに出た時にもらえるテープは滅入るからまず聞かないし、
自宅の留守電に入れた自分の声を再生するのはもう、どんより。

昨年からポッドキャストの番組で話すようになったのだが、
これがまた、あとから聞くと、
声の低さと滑舌の悪さとリズムがシロウトっぽさが、
もうあっちゃーなわけで。
でも、内容のチェックで、最低一度聞かねばなので、
そのたびに墨を飲んだ気分になる。

やっぱり、声は、自分で出すより好きな声を聞くに限る。
僕の好きな声は、伊藤蘭は別格として、まずは森高千里。
今では、あと石田ゆり子かな。
それから、優香と松たか子と大橋未歩とSHIHOと……
って、どうも一貫性が見られないと思ったら、
やっぱり男のさがなのか、声じゃなくて普通にルックスの好みだYO!

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