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2010.2.25 お店部

20年通う「ホルモンゆうじ」と誕生日

「よく行くお店は?」
と聞かれると、ここしか出てこない。
といっても、行くのは月1〜2回ぐらいなのだが。

オープン間もないころから行き始めて、
ずっとこんな緩いペースながらも20年通っている。
好きな席は、1階カウンターの一番奥。
二人で行ってここに座るのが特に落ち着く。

ここができたころ、
僕は『Hot-dog PRESS』の契約編集者だった。
女のコ特集と企業体アップなどを主に担当。
一生で一番働いていたのは間違いない怒濤の仕事量で、
撮影現場もかなり多かった。
スタジオに入り浸る日々、ロケバスで移動の日々。
カメラマン、スタイリスト、ヘアメイクさんと過ごす時間は
ライター諸氏との打合せ時間に匹敵していた。

中でも、スタイリストさんとのコミュニケーションは、
<脱ぎ>のグラビアではなく、
タレントやシロート相手の<ソフトセクシー>的撮影では
とても重要なファクターだった。
あうんの呼吸がないと、うまくいかない。
これ、長くなるのでまた「編集者部」などで書くとして。

撮影が終ると、スタッフでメシを食って
夜遅くに編集部に戻ることがほとんど。
僕が頼りにしていた姉御肌スタイリストさん2人組が、
このゆうじの目の前にあるボロい建物にごくごく狭い事務所を借りていて、
撮影終わりで、そこで車から荷物を下ろすのを手伝い、
さあではメシでも食いますか、となることも多かった。

そんなある日に「目の前にめっちゃおいしいホルモン焼屋ができたよ!」
と連れていかれたのが、ここ「ゆうじ」だった。
そこで食べた、レモンで食す「塩ホルモン」と、ごまだれの「レバ刺し」
の味は衝撃だった。

金沢はホルモン屋が多い。
うちのオヤジが好きで、小学校に入る前からしょっちゅう連れていかれていた。
貧しかったうちでは、外食の最上級のごちそうだったから。
僕にはそれが、大人に交ざれた気分になれる楽しいイベントだった。
その頃行った西金沢駅近くのホルモン屋2軒、片町のホルモン屋の
場末感むんむんの店内を今でも覚えている。

そんなわけで、ホルモンのうまさは三つ子の魂的に刷り込まれている。
だから、店にはとことんこだわりがある。
うまいまずいというより、好みには譲れないものがあるのだ。
ちなみに、ゆうじは<しちりん>だが、
金沢は<ロースター>これもまた捨てがたい。

ゆうじがどううまいとかなんとかこれ以上は検索したら
たぶんそこらじゅうに書いてあるからいいとして
それはもちろんだが、
僕がこの店に惚れ込んでいるのはゆうじ君の人柄である。
不器用、一徹、飾りっけなし。
そして、情と思いやりに溢れ、いいものしか出したくない、
とことんお客さん側に立って出す。
それでいて、料理とは関係ないが
カルチャーセンス、笑いセンスもナイス。

元サーファーらしく、たくましい胸板に浅黒い肌。
似つかわしくないほどの腰の低さ。
かわいそうになるほどぐらい狭い調理場で、
いつも下を向き肉と格闘している姿に今でもぐっときたりする。

お店を始める前は、カメラマンのアシスタントをやっていたが
お父さんが亡くなって、それをやめて、
お母さんとふたりで店を始めた。

僕は、六本木スタジオ、代官山スタジオ、アートセンター、
赤坂スタジオ、フォリオ、あたりからの帰り、
あるいはロケバスを渋谷で降りて、
ゆうじに通うようになった。

2年ほどして編集部を辞めてからも足を運んだ。
3年間はフリーで仕事したあと、
会社にして事務所を借りねばと決心し、
物件を探し始めた時、たまたま間借りしていた
デザイナーの友人のマンション入ってきた不動産屋のチラシが
ゆうじから徒歩1分、狭いワンルームのマンションだった。
見た瞬間、決めていた。
もちろん、ゆうじ通いは月1〜2ペースでゆるゆると続く。
でも毎日、帰宅時には必ず、看板の前を通り過ぎながら
ああ、今日も繁盛してるなあと、
もうもうと立ち込める煙で見えなくなっている
ゆうじ君の横顔をちらっと覗き込んで。

2001年、
日本中に狂牛病騒ぎが降ってくる。
このころになると、取材を受けなかった「ゆうじ」だが、
クチコミで噂は広がって、連日満席だった。
ところが、そんな名店ですら、
あのバカ騒ぎによって、閑古鳥が鳴いていた。
潮が引いたように来なくなった客もどうかと思ったが
とにかく、確実に商売はまずいことになっていたのだろう。

ある日、帰りに店の前を見たら
「焼き鳥始めました」と出ているではないか!
すぐに店に飛び込んだ。
誰もいないカウンターで、いつもどおり、
ホルモン、ミノ、ナンコツ、レバ刺し、キャベツ
などを食べ、瓶ビールを飲み、
カウンター越しのゆうじ君に言葉をぶつけるように語った。
「鳥なんかやめようよ! 絶対にみんな戻ってくるって」
「いや、石黒さん、でもオレ、自信ないッスよ…」
「キツイのはほんの一瞬。ゆうじ君の自信を今こそ見せる時。
牛で押したほうがあとあと、ああやっぱりあそこは信念があるってわかるって」
たしか、閉店して電車もなくなるで
酔いも回りいい調子で3時間ぐらい、
言いたいことだけ一方的にしゃべりまくっていた。
自分勝手な客である。

翌日、「鳥」の看板はなくなった。
しばらくすると、以前のように、
開店前に並ぶ客の姿が見え始めた。

時は流れ、ゆうじ君は結婚し、
奥さんと、お母さんと3人で回していた。
店員が入るようになって、お母さんが年齢的に
引退したのは6年ほど前かな。
ちょうどその頃、僕は事務所が3分ほど歩いたところに移り、
お店に通ってはいたが、
毎日お店を見ることはなくなった。

ゆうじ君のところは
お子さんが2年ほど前に生まれて、今は奥さんもいるのはたまにだ。
換気の状態もよくなり、
昔のように、向かい合って座っていて相手の顔が見えなくなるような
ことはなくなった。
料理の勉強もたゆまず続けているようで
新たな裏メニューも出してくる。
拒否していた取材も、内容次第では受けるようになり、
あの小さな店が相当な有名店になった。
肉同業者の世界でも名は知られ、よく食べに来てくれるらしい。

再び僕。
事務所を立ち退いてほしいという問題が勃発し、
クレイジーなオーナーの行動からのストレスで1年半の間、
本当に疲弊していた。
最後はメゲてお金もほぼもらわずに出たのだが
移転を決めてみつけたのが
会社を作った12年前に入ったマンションだった。
そして、昨年5月、以前より広い部屋に戻ってきた。
ゆうじまで徒歩1分。

すると昨年、ゆうじからボヤが出た。
翌日、顔を出してゆうじ君と話し込んだ。
原因は老朽化した物件のせいだったが、
修繕でお店を2週間閉めざるをえなかった。
さすがにゆうじ君はいろいろなことで悩んでいたが、
でも再開してすぐに会った時、
もう吹っ切れているようで明るい声で言った。
「やっぱオレ、ここがいいんすよ!」

今日も、ゆうじの看板を見ながら家路に着く。

2月15日は、僕の49回目の誕生日であり、
この店に僕がもっとも一緒に行っている男、
ナガオカケンメイの45回目の誕生日。

明日は揃ってゆうじに行く。
バースデーホルモンが待っている。

ナガオカケンメイとニッポン

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