●人類の歴史とナゾナゾの関わり


 ナゾナゾの起源は、紀元前9000年頃。最初に農耕を始めた人類である、古代シュメール人にまでさかのぼる。彼らは、楔形文字で粘土板にさまざなな情報を記していたのだが、その中にある以下の文、「山の中腹に安全そうな洞窟を見つけた私たちは、思わず赤ちゃんことばになり、何と発したのか?」<しゅめーる=住めーる>がナゾナゾの記述としては最古のものである。
 メソポタミアで産まれたナゾナゾは、その後、古代エジプト文明に渡っていった。紀元前2500年代に建てられたクフ王のピラミッドから出土した財宝箱には、ヒエログリフによって「余の辞書にある、夏休みの自由研究に向けたメッセージははなんであろうか?」<創意工夫を>と書かれていたことはあまりにも有名。
 さらにナゾナゾは古代ローマへとつながり、紀元62年に、ベスヴィオ火山の噴火で灰に埋もれた都市・ポンペイの壁画にはすでに「のちに我々を見つけるはずの日本人は誰?」<林家ポンペイ=こん平>と記されている。
 また同時期、遠く離れた南米・古代ナスカ文明でもナゾナゾは人々の暮らしに浸透していたようだ。ナスカの地上絵には「ジャガイモ、トマト、トウガラシ、ピーマン」がセットで描かれている。これは<ナス科>だからというのが多くの研究者たちの一致した意見であり、このことから、ナスカではさらにナゾナゾが高度になっていたと考えられている。
 こうして人類の暮らしと密接につながりを持ちながら発達を遂げていったナゾナゾは、じわじわと世界じゅうに広がり、歴史の重要なポイントには必ず登場するようになる。
 たとえば13世紀のモンゴルでは、エビフライを半分しか食べないことによって、自分の名前を当てさせるナゾナゾを出していたフビライ・ハンが登場。
 18世紀のハワイ王国では、自分の名前にちなんだナゾナゾを出し合い面白さを競って王を選出していたらしく、カメハメハ大王が、人々の前で爬虫類を交尾させていたことは想像に難くない。
 宗教とナゾナゾも切っても切れない深いつながりが。イギリスでは17世紀に、ある中華料理を手にした人々がそれを何かを当てさせるという革命が起きた<ピータン=ピューリタン革命>。
 そして現在、センター試験の出題がすべてナゾナゾに変わろうとしている日本でも、もちろんナゾナゾは古くから歴史を彩ってきた。近代に入ってからの代表的な例は、自由民権運動に力を注いだ板垣退助の残したナゾかけことばであろう。岐阜を遊説中に暴漢に襲われた板垣は、傷を負った体をひきずるようにそば屋にかけこむと、あるメニューを頼んで息絶えた。彼が食べようとしていたのはソバガキであったが、そこに込められたメッセージ「ソバガキ死すとも自由は死せず」には、ナゾナゾに賭けてきた我々日本人の真摯な魂が宿っているかのようだ。



 ●人はなぜ、ナゾナゾに夢中になるのか?

 ネコ目(食肉目)イタチ科カワウソ亜科に属する哺乳類の一種、ラッコ(学名:Enhydra lutris 英:Sea otter)が、水面で仰向けになったまま、腹の上に置いた石で貝などの殻を打ちつけて割り、その中身を食べることはよく知られています。
 では、なぜ、彼らが石という道具を使って貝殻を割るのか考えたことがありますか?

 それは、
「頭で割ると痛いから」
 です。
 その答えを聞いたヒトはなんだかバカにされたような気持ちになるでしょう。
「ケッ、くだらない」と吐き捨てるヒトもいるでしょう。でも、そうは言いながら心のどこかで次の問題を待ち受けている自分がいることに気づくはずです。
「チクショー、次は引っかからないぞ」と……。
 ところでなぜ、ヒトはナゾナゾに夢中になるのでしょうか。出題する側、あるいは答えを知っている者は、できない相手が考え、悩み、苦しむ姿を見て優越感にひたりたい。一方、解答するほうはなんとか正解して相手の鼻を明かしてやりたい。自分の頭脳が明晰であることを示したい。そんなふたつの感情や思惑がナゾナゾの現場(大げさだよ)には渦巻いています。実際テレビで放送されているナゾナゾやクイズ番組を見るとほとんどがそのような構造で成り立っています。
 問題を解くことができた者にはおいしい食べ物がご褒美として与えられ、解けない者はいつまでもごちそうにありつくことができない……といったような「アメとムチ」が用意されていることがいまではお約束になっていて、テレビの前の視聴者は、答えがわかった者とそうでない者、極論すれば「バカと利口」の断絶ぶりを見て楽しんでいるのです。
 いわば「知的なSMショー」ですね。
 しかし、そんな混沌としたナゾナゾ界にもひとつのルールがあります。それは、正解を聞いたらどんなヒトでも「ああ、そうか!」と納得できるような、単純な答えでなければならないということです。
「朝は4本足、昼は2本足、夕方は3本足で歩くものは何か?」
 この有名なスフィンクスが出したとされるナゾナゾも、答えが「人間」だったから面白いわけで、それがアマゾンの奥地に生息している見たことも聞いたこともない生き物だったら誰も納得しないでしょう。つまり、ナゾナゾというのは、「そのことば自体を万人が知っている答えであること」が大前提なのです。
 しかし、本当にそれでいいのだろうか――。
 20年近くナゾナゾを作ってきた僕が抱えていたフラストレーションはまさにそこにありました。
 クライアントである出版社やテレビ局の担当者に、「そんなコトバ誰も知らないよ」といわれたら、どんなにイケてるナゾナゾであってもボツにするしかなかったわけです。つまり、従来のナゾナゾは「バカでも知ってる答えであること」が大前提だったわけです。でも、この本は違います。いくら考えても、答えとなる人名や地名などことばそのものを知らないと一生かかってもわからないし、答えを聞いても「ポカーン」とするしかない。でも、わかるヒトには確実にわかる――。ここが面白いといえば面白く、つまらないといえばものすごくつまらないところです。
 ある意味、本書はあなたのインテリジェンスの試金石、あるいはリトマス試験紙といっても過言ではありません。どうですか、あなたの負けず嫌いな心にメラメラと火がついたのではありませんか。

 ではここで問題です。
「ラッコはなぜ仰向けで眠るのでしょう?」
 答えはそうですね、「うつぶせになると溺れるから」ですね。さすがに2度は引っかかりませんよね。では、最後にもう1問だけ。
「ラッコの子育ては、通常、母親が自分の腹の上でするが、時には背中におんぶすることもある」
 本当かウソか、イエスかノーかで答えてください。
 答えはイエス(おんぶにラッコ)
「くだらねえ〜」と思いながらも本書に興味が湧いてきたら、それはあなたのインテリジェンスが高い証拠です。さあ、すぐに本書を持ってレジに行きましょう。