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2015.10.9 野球部

<WOWOWぷらすと>出演用に<野球的自己紹介>を

WOWOWがネット配信している番組「ぷらすと」
野球というテーマの回があるとのことで出演依頼があった。

10/21(水)19時半から2時間の生放送。
ほぼ、フリートークに近いらしく特に台本はないだけど
話しのネタがあれば送っておいて頂ければ、と連絡が。

さっと希望メモして、
簡単に<野球的自己紹介>書いとくかと思ったら長くなって(笑)
せっかくだからここにあげておきます。

当日、よろしければご覧頂ければ。

                     2015/10/9
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[WOWOWぷらすと出演 希望内容]

●早いうちに選手に目をつける話し
●テレビで言われるような、誰でも言える話しよりも
 サイドディッシュな見方でオリジナリティを
●道具やユニ、練習にも注目などいろいろある。
●解説者の話を鵜呑みにせず、自分考え想像してみる

<野球的自己紹介>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●僕の野球に関わるポリシーは
<観る、知る、やる、伝える、敬う>
観る=観戦のポイントーセンス
知る=歴史や技術含めた幅広くバランスの取れた知識
やる=自ら全ポジションでプレーすることでわかる体感
伝える=専門用語を使わず平易にわかりやすく伝える
敬う=<プレーヤー・ファースト>の意識で選手や監督、
   そして野球というスポーツそのものを敬う気持ちを忘れない。

●18歳から54歳の現在まで、毎週1回、草野球でプレー。
投手、捕手、はじめ全ポジションほか、
監督、ベースコーチまですべてこなし、その中で、
技術論や作戦、流れ、心理などを体験し日々考えている。
仕事仲間、学校つながり、草野球つながりなどで
いろいろなレベルを経験。
最高に高いとおろでは、狛江市代表チームで都大会。
99年には自分がオーナー監督のチームを作り
がっつり6年ほど活動。

●ただならぬ、野球道具マニア。
しかも、メーカーなどは人と違うものばかり追い求め
カラーリングなどもほとんどオーダー。
↓参考 写真も
野球道具マニアネタ&草野球1200試合超で初の場所間違え!

●ジャーナリスト専門学校の時、野球部を創設。
初代主将。その後、東京都専門学校野球大会で優勝の強豪に。
この決勝では、特別に、東京ドームのベンチに入れてもらう。
自分で作った草野球チームは、この野球部OBだけで結成。

●ここ20年ほど、夏の甲子園では、ベンチ裏最前列
監督の真後ろに居座り、4試合観戦を2日ほど。
ラガーさんのように<バックネット裏>ではなく<ベンチ裏>
に座るのは、監督の指示などを学び、控えを含めた選手達の
ダイヤモンドの外側で見せるリアルな行動や表情でぐっときたいから。
↓参考 写真も
甲子園のレンガに自分の名前が刻印
プロフェッショナル甲子園観戦の流儀 観戦グッズ

●子供の頃からあのアツサに漠然と惹かれていた高校野球に、
本格的にのめり込むのは、星稜高校に入学してから。
1年の夏に、1つ先輩である、小松辰雄さん(→中日)
の快投で。2度目の出場でベスト4。燃えた。

●中学で野球部に入るつもりが、小6のバレーボールブームに
つられてついバレー部へ。にもかかわらず、星稜で野球部に入ろうかと
練習見にいったものの、小松さんはじめとてつもないレベルで断念。
その悔いが、いまでも真剣に草野球をやらせているんだと思う。

●本では、じわっとくるノンフィクション、観戦の本、有名選手の本、
技術書、エッセイ、小説など中学生の頃から様々読んできたが
30歳を過ぎてから、技術書、技術の雑誌に深く傾倒し、読み漁る。
200冊はカタイ。

●本にとどまらず、少しだけだが、実際にコーチも受けた。

●学生時代、時事通信社運動部で、野球記録配信のバイトを2年間やる。
毎日、1試合担当し、スコアを見たり電話を球場とつないだりしながら
全データを入力していく。
この頃は、仕事でもある好きだったので、
プロ野球選手800人の背番号を覚えていた。
スコア付けもこのとき完璧に覚える。

●講談社『PENTHOUSE』記者・編集者時代は、野球記事も多く担当。
有名選手インタビューなどで球場やキャンプ地などいく。
『Hot-DogPRESS』、編集者時代も少々。

●観戦は、年齢と共に、好きな順位が、アマチュアに傾いていく。
 いまはプロ野球の選手や成績などはは普通の人レベルしか知らない。
 一方、高校野球はみんな観ているので、中学や大学、社会人などに気持ちが向く。

●原体験「巨人の星」が始まった第一回をテレビで観たこと
1968年3月30日ー7歳 小1の終わり。
これで、野球がやりたいと思うように

●本格的にプロ野球にハマッタのは、中2。
赤ヘル初年度、ルーツ監督ー古葉監督に燃えた。
『週刊ベースボール』毎週精読はここから10年ほど続く。
中学〜高校時代、プロ野球選手800人の背番号、出身校を
7割ほど覚えていた。

●仕事では『Number』で、図解を用いて知的で笑えるクリエイション<分類王>としてさまざまな記事を残した。他に、松井本塁打研究や球場比較など分析ものの。シリアス系では母校に取材に行ったこれが。
<山下智茂・星稜総監督が初めて明かす、「松井5連続敬遠」の痛恨>

●高校野球で星稜が残したドラマは、刻みつけられている。最大の思い出は、神様が創った試合と言われる<星稜ー箕島 延長18回の奇跡>。高校卒業して上京、日々不安と敗北感に襲われるバイト生活の中、この前まで学校内で見ていたひとつふたつ下の後輩達が起こした最大級のドラマは自分の人生の大きな支えとなっている。さらに、松井5敬遠の夜、公園で一夜を過ごしたこと。山本省吾投手(→近鉄〜横浜)で帝京との決勝で敗退。2014年夏、県予選決勝で9ウラに8点差をひっくり返したことなど。

●講談社から完全フリーになった頃、相当いろんなことがつら時期だった。そこで支えてもらったのが、草野球と、メジャーにわたった野茂の活躍。あの頃、本当に、野球という存在に感謝した。

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